“真似すること”に不安を感じるときは

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芸術とは、無から生まれるものではなく、
すでに完成された彫刻の像を石から掘り起こすようなものだ

という格言があります。

■自分の想像力から湧いてくるイメージを石にぶつけるのではなく

■彼らはすでに硬い石の中に完成形を見ていて、その完成形のガイドラインの通りに彫刻している

という意味からきている格言だそうです。

この2つは似て非なるものだなと思います。

完成形を自分の中に見ること

この曲でアドリブをしよう

と決めたときに、誰かの完成形を自分の中に見ることが大切だと思います。

長方形の立方体に埋まっている像を、周囲を削りながらゆっくり掘り起こすように、

あのアーティストのあの歌い回し
あのアーティストのピッチの取り方
あのアーティストの間の取り方
あのアーティストのフレージング
など
その曲に関して自分が気に入っていることを、少しずつ掘り起こし、
脳みその中をそのイメージで満たし、それを絶対に覚えると決める

ということが大切だと思います。

発見した素晴らしい要素の覚え方はひとそれぞれだと思いますが、
CDを聴いて、気に入って、音色や発音や歌い回しをコピーしたら、

これ、絶対に今日覚えるんだ!

と唱えながら楽器を演奏するだけでも、定着力が全然違います。

こういう特徴があって、こんな理由があって自分では覚えにくくて、
この歌い方はこんなときに使いたくて、、

というのを一つ一つ、頭の中で”言語化”することも非常に大切だと思います。

好きな曲には、自分の想いが関係している

いままで生きてきた時点で、なにからも影響を受けていない感性なんて存在しませんが、
おそらくその曲を気に入った理由は、誰かの素晴らしい演奏が頭の片隅に鳴っているからだと思います。

もしかすると、子供の頃にどこかで聴いた音楽や風景と関係があるかもしれません。

その影響を完全に無視して演奏することは不可能であり、無意味だと思います。

好きな理由を否定していては、自分に”好き”の要素を取り込むことができないからです。

むしろ、自分がその曲を好むに至ったバックボーンを知れば、
もっと演奏がうまくいって、曲の理解も深まり、覚えるべき技術も身につきやすいのだと思います。

真似するというより、自分の記憶から完成形を掘り起こす

真似する、という言葉は日本語ではあまり良い意味で使われない印象ですが

自分の感性の中に、その曲の完成形がすでにあり、
その素晴らしい完成形を毎日ジリジリと、掘り起こしている

というイメージで、

“丁寧に” いろんなひとの素晴らしい要素を集めて、確実に自分のものにしていく

これが上達する1番の近道なのかもしれないなあと思いました。

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